つい先だって、
思いがけず、
私が最も大好きなドラマー、
のCDをプレゼントしてもらった。
私は、
高校2年生の頃からだったか、
高校2年生の頃からだったか、
ドラムを始めた。
バンドにも参加し、
その頃のニューミュージックやフュージュン系の曲をコピーしたりしていた。
社会人になってから、
兄貴バンドに引っぱられ、
当時まだ珍しかった16ビートをたたいていた。
"Central Park Rhythm Sections"
というアマチュアフュージュンバンドで、
このサイトの"Friend & Family"にあるギタリスト
「石井完治」さんがリーダー、
「深井克則」さんがピアノとシンセサイザーを担当していた。
ラテンっぽいジャズっぽい曲
(リー・リトナーやアール・クルー風、アル・ジャロウのコピーなど)
がメインで、
思い起こせば、
全盛の頃、
大学祭・ホテルやグランドキャバレーでのパーティー・ジャズスポットなど
毎週の様に演奏活動に出かけていた。
毎週の様に演奏活動に出かけていた。
渋谷の「屋根裏」にも出演したことがある。
浜田省吾さんがデビューしたての頃、
プロモーターを通じて
プロモーターを通じて
彼の初ツアーの前座にという話もあったのだが、
本人とマネージャーが私達のライブを見た後にすぐに断られた。
どうやら理由は"音量の差"だったらしい。
当時、
浜田省吾さんは、
ギター2本の弾き語り、
我々は、
ボーカル・ギター:2人・ベース・ピアノ(シンセサイザー)・パーカッション・ドラム・サックス・トランペット
という編成の時だったから無理もない。
(レベルの差だったのかも : 汗
当時の私達のライブには、
アマチュアミュージシャン達がこぞって押し寄せ、
いつも前列を占めていた。
社会人バンドということだったので、
社会人のファンも多かった様だ。
解散後は、
"幻のバンド"と言われていたらしい。(長くなるのでこの辺で・・・
当時の私達のライブには、
アマチュアミュージシャン達がこぞって押し寄せ、
いつも前列を占めていた。
社会人バンドということだったので、
社会人のファンも多かった様だ。
解散後は、
"幻のバンド"と言われていたらしい。(長くなるのでこの辺で・・・
ハーヴィー・メイソン(Harvey William Mason, Sr. 1947年2月22日~)
のドラムに出会ったのは、
確か、
ジョージ・ベンソン(George Benson, 1943年3月22日~)
の「Breezin'」(1976年)だった。
「Breezin'/George Benson」は、
私のベストアルバムの一枚である。
このアルバムは、
当時の私にとって衝撃的なアルバムだった。
あたたかさ・爽やかさ・ドライブ感・大人の雰囲気・カッコよさ・都会的センス・包容力などなど・・・、
様々なことを感じ、
その後の私自身に大きく影響を与えたと言っても過言ではない。
これまた"四畳半の部屋"で、
それこそ盤が擦り切れるほど聴き込んだものである。
勿論、
実際に彼のライブも見に行った。
その時のドラムは、
その時のドラムは、
確か、
レオン・チャンクラーだったと想う。
Breezin'/George Benson
っと、
語りだせばこれまた長くなるのだが、
繊細で、
とにかく流れるような、
まるで風の様な
ハーヴィー・メイソンのドラミングに、
感動し、
憧れたものである。
この度頂いたアルバムは、
「With All My Heart/Harvey Mason」(2003年)
4ビートのアルバムである。
ハービー・ハンコックやチック・コリア始め、
夢のオールスター・ピアニストとの共演となっている。
どおりで、
ハイセンスな演奏のはずだ。
で、
ハーヴィー・メイソンのドラミングは・・・・・、
やはり彼らしいスタイルが伝わってくる
他と一線を画した演奏、
とにかく私にはそう聴こえてしまう。
選曲も演奏も素晴らしく、
旅の道中ずっと、
デリカちゃんで
大音量で聴き入ってしまった。
※この記事は、"Old HMS"の記事を移植し編集したものです。




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